伝えたいこと

飯田市!一つの窓の灯りから「酒元と喜久水酒造」

一つの窓の灯り

夜の10時頃です。

偶然、通りがかった道で「一つの窓の灯り」に目に止まりました。

 

ここは、長野県飯田市。

飯田市は、城下町として発展してきた歴史があります。

京都の町割に似た格子状の長屋作りの建物が碁盤の目のように配列された町並みは、1947年(昭和22年)の大火によって大きく消失してしまいました。

しかし復興に伴い区画整備が進みましたが、今現在も通称「丘の上」と呼ばれる市の中心部は、城下町の名残りを残した碁盤の目の作りの街並みになっています。

駅から広がる市の中心部は公的機関も多い地域なので、昼間は交通量も人も多いのですが、夜間になると商店も閉じられ今時の住宅事情で郊外へ移り住む人が増え街はとても静かになります。

 

廃墟化した建物も多い中で、この窓の灯りには

「こんな所に人が住んでいるんだ」と思った不思議さから目が止まり、そこから私の歴史の旅が始まったのです。

 

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写真で撮ると明るく映ってしまいましたが、実際は視界でとらえれる範囲は狭く、全体像は全くわからない暗さでした。

ここは大きな道りの裏側になり、明かりは大きな通りの街灯にたよっている路地になります。

 

ぼんやりと窓の灯りを眺めていると、何か違和感を感じます。

何故だろうと考えていると、その家の間取りがおかしいのです。

 

窓の灯りの位置から隣の部屋への配置を考えると「どうなってるのか?」と不思議に思いました。しかもいくつも同じような部屋がある。

日本家屋でいうと下座敷・上座敷と二間続きの部屋はありますがそれとも違う。

見える範囲をよく見ると、何やら土蔵っぽい建て物である。

 

そこで思いついたのは、灯りから繋がる部屋は昔の何かの職人さんの住んでいた場所だったのではないか?

土蔵と職人さんから連想すると「米屋か酒蔵」?

暗い路地から大通りに面したお店に回ってみると、ガラス戸にこんな写真が貼られていました。

 

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歴史を語る写真にやはり古くから何かの歴史のある場所なのだと思いましたし、これを貼られた方は何を伝えたいのだろうか、とも思いました。

全体の広さなどから考えると「酒蔵」ではないかと推理してみましたが、気になったので後日、訪ねてみることにしました。

 

小さな歴史「蔵元」

 

店内は当時の面影を残したまま商店として使われていました。

売られていた物はやはり「お酒」

お店にいた50代くらいの女性にお聞きすると、

  • 昔は酒蔵があったが場所である。当時はそれぞれの蔵元(くらもと)でそれぞれの銘柄のお酒を作っていたが、歴史に残る大火から焼け残った蔵元(くらもと)が一つにまとまり、銘柄も統一されたらしい。統一された蔵元が後に今の「喜久水酒造」になったらしい。
  • 信州は水が綺麗な土地で、名水も多い土地。それゆえに蔵元が多かったのではないか。

 

そんな話から、自分の勘が当たっていたことに喜んだのは束の間で、深い歴史に心を奪われます。

 

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2階部分はやはり当時の職人さんが住んでいた部屋でした。

お休みの日の昼下がり、職人さんたちのガヤガヤとした声が聞こえてくるようです。

この造りは「長屋」と言われるものらしいです。

 

 

当時は、ここを多くの人が行き来していたのでしょうね。

私が見つけた窓の灯りは、一番左端。

夜間で視界が悪いとはいえ、この建物に気がつくことなく、歩いていたのかと思うと人って本当に見ているようで見ていない。

 

お店の女性は、当時の「蔵元」の話から大火の被害は現在の道幅でわかることなども教えてくれました。

お礼にお酒を購入しようと思ったのですが、私がお酒を飲まないことを察していて

「お酒は人によって好みが全く違う。甘口・辛口だけの違いではなく辛口でもその味には違いがある、それを知って楽しめるのが飲兵衛なんだよ」と優しく諭してくれました。

突然、訪ねてきた私に嫌な顔もせず対応して下さり感謝致します。

 

私はこの地へお嫁にきて27年になります。

大火については小学校で習うのですが、私は子供時代にはいませんでしたら「大火」があったくらいにしか知りませんでしたし、現在住んでいる地域に昔は多くの蔵元があったことも知りませんでした。

そんな感動からお店の女性の「〇〇らしい」という話の「らしい」が気なって

「喜久水(キクスイ)酒造株式会社」さんにお聞きしました。

 

喜久水酒造(キクスイ)リンク先はこちら↓↓

会社案内 喜久水酒造 (キクスイ)

喜久水酒造(キクスイ)のショールーム「翠嶂館」

翠嶂館(すいしょう)リンク先→ 喜久水酒造|翠嶂館

会社正面横にこのショールームが設けられています。

 

酒元から始まる歴史・大火と喜久水酒造

 

飯田市の酒元37場から喜久水酒造(キクスイ)への歴史をまとめたものです。

 

 1944年(昭和19年) 下伊那酒造株式会社が創立

  • 米不足と当時の国の政策により、地域の酒蔵37場が企業統合され創立。
  • 酒蔵それぞれの銘柄が統一される

 

1947年(昭和22年) 飯田市大火

飯田大火 – Wikipedia

  • 多くの蔵元が大火で焼失
  • 大火から下伊那酒造は焼失を免れた仲ノ町地区へ移転

 

1951年(昭和26年) 喜久水酒造株式会社に改称

 

1952年(昭和27年) 大火復興のシンボルとして「りんご並木」が造られる

りんご並木 (飯田市) – Wikipedia

  • 65年経つ現在までりんごの木は植え替えられながら、同市内の中学校の生徒らによって守り続けられている
  • 2016年11月 天皇皇后両陛下が中学生の作業をご覧になった

 

2002年(平成14年) 喜久水酒造(株)本社を現在の飯田市鼎(かなえ)切石に移転

 

これらの内容を飯田市「喜久水酒造」様に年代ごとに詳しく教えて頂きました。

喜久水酒造 (キクスイ)

 

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今は静かにハトがとまるこの場所に、当時の職人さんがいた。

現在の喜久水酒造につながるお酒を造っていた方達がいた場所とも言える。

歴史とは何と深く重みのあるものだろうか・・・

 

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人生とは歴史

 

 たった一つの「窓の灯り」から、27年間も住んでいる地元の歴史を知り、そしてその当時や当時の人の想いに心を馳せることに繋がりました。

当時も現代と同じでいろいろな人のそれぞれの想いあり、そこから今へと繋がっていることを感じる時に歴史とはとても深いものだと初めて知りました。

知ることで、同じ見慣れた街が今までと違って感じられます。

お年寄りが地元を愛されるのは、歴史の重みを知りながら自分もそこへ歴史を重ねているからなのかな、と少しだけ分かるような気がしました。

やはり人生は奥が深い!

 

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