私の日常日記

精神科受診に終わりくるときに思うこと

精神科の受診に終わりがあった

精神科への受診に終わりがくるとは、到底思えない中で、本当に終わりがあったことへの思いは、自分のこのサイトへ書こうと思いました。

一言で言うなら「感無量」

大きな安堵感と喜び、幸福感が私を満たしています。

そして、最近は、静かに自分の人生を振り返りながら、いろんな過去の思い出やその時に感じていた想いを回想しています。

それは、嫌な感情ではなく、静かな過去への旅のような不思議な落ち着きを感じています。

まるで、死を前にして走馬灯のように過去を見ているのではないか、と思うような回想をしている時がありますが、これが本当の意味での過去の記憶の整理であり、心の整理なのだと今の私は知っています。

そして、心を満たす安堵感と喜び、幸福感を噛み締めています。

精神科への受診を終わりにしていいのだと自覚できた日、空を見上げました。

 

 

空は私の心を写しているような曇り空が広がっていました。

そう、まだ私の心は、まだまだ曇ったままなのです。

だからこそ、見上げた曇り空は私の心と同じだと思ったのです。

曇り空を眺めながら思ったことは

「今はこの曇り空でいい、ここから始まり、やがて青空が広がり、太陽は私を照らしてくれるだろう。その時に私が見る世界は喜びと幸福の明るい世界がみえているであろう」

そう思えました。そして、そう思える自分が大切であり、好きだと思いました。

少し、時間が経つと見上げていた曇り空に光が差してきていました。

こうやって、私の心へも光が照らしてくるのだろうと、これからの未来への大きな希望を感じました。

 

振り返る想い

複雑性PTSDと解離性障害で5年間をかけて精神科で治療をしてきました。

「トラウマって何?」とその言葉の意味ですら知らず、若い人が使う言葉なんだろうとしか思っていなかった自分がまさか「トラウマ」を抱えている生きていることを知ったショックは大きかったです。

心的外傷ストレス障害(PTSD)や解離という言葉やそれらが自分自身に起こっていることも治療の中で、自分で理解していきました。

5年間の治療期間の思い出は、今になって振り返ると本当に楽しい思い出となっています。

治療中はそんな風には到底、思えない辛さと苦しみで、病院に殺される、と思っていましたね。

実際に「治療の途中で寿命が尽きたらどうしてくれるんだ」とこぼしていました。

複雑性PTSDの症状の激しさの中で、何を目的に、何が治療だかわからない中で、先生方からは投げかけられるキーワードを考え続けていました。

それらのキーワードは、まるでジグソーパズルのピースのようにどんどん溜まっていきます。合わさりそうで合わさないピースを前に考え続ける日々は、病状と共に本当に辛く苦しかったです。

それでも、パズルが完成したら良くなるのではないかと言う思いから、パズルの答えがほしくて病院へは休まずに受診していました。

パズルのピースなんなんですよ、わからないんです。先生たちが投げかけてくる答えが。

わからないから、考える、わからないからまた聞くけど、また違うピースを渡せされるだけで、わからない。

受診は先生たちとのバトル状態でした。

これが一番楽しい思い出になっています。私は、もともと自分の意見を持っていている人だったので、納得できないことや思うことは、はっきり言うのですが、先生たちにしてみると私に自分で考えて答えを出させるために、はぐらかしたり、更にキーワードのピースを渡してくるだけなので、答えが見えない私とはバトル状態になってしまうんですね。

どんな感じなのかを伝えるために簡単なエピソードを書きます。

ある時、先生から「薬はあくまでも補助的な物。こちらからは薬の情報を伝えるので必要があるなら使って」と言われます。

すると私はこう答えます。

「私は医者でも薬剤師ではありません。薬が必要かどうかは先生が判断することです」と。

今なら、あくまでも補助的であると言う意味がわかりますが、当時は病状が激しく、何で私が判断する必要があるのかと怒っていましたね、かなり。

薬に関しては、最近まで同じようなことを言って怒っていましたよ。診察の最後に先生から「で、薬なんですが、何がいります?」と処方が書かれたパソコンの画面を向けてくるから、

「私は患者であって、医者でも薬剤師でもないです」とパソコンの画面を先生へ向けてやります。

すると先生から「じゃあ、胃が痛いようなことを言っていたので胃薬を出しましょう」と言われ、次の瞬間には「胃が痛いのは精神的なものなので薬では良くならないから要りません!」と言い返してるんですね。

今思うと矛盾してますよね。医者じゃなから先生が決めろ、と言いつつも、では出すと言われると、要らないと怒っているんですから。

 

態度の大きい患者でしたね、今思うと。

「先生は私を治す自信があるんですか?」と詰め寄って、先生からは「いやいや良くするのは〇〇さんだから」と言われると

「それって私へ丸投げじゃないですか?私は、先生が私を治せる自信があるかを聞いているんです!」と返してしまう。

心理士さんへは、最初は何を仕事とする人なのか知らないし、何の治療を目的にしているのかがわからない中で考えさせられてばかりだから

「先生は、お悩み相談のバイトですか?それともきちんとした仕事でやっているんですか?」と詰め寄っていたこともありました。

病状が激しい中で考えさせられ、辛く苦しい日々は本当に長かったです。到底、良くなるなんて思えなかった。

食事を体が受け付けない中で「肉体だけを生かすために食べてる」ことが嫌になっていた時に思い出したのが、随分と古い事件ですが「生活保護を受けている人が餓死。しかしその側には、おにぎりが残されていた」という報道。

「餓死しているのに、何故おにぎりが!」という疑問で大きく報道されていたことを思い出しました。その人が、何故おにぎりがあって餓死したのかが、何となくわかりました。

もう生きる希望も生きる意味もなくなった極限状態では、食べなくても平気になり、そのまま何日かすれば死ねるということを感じましたね。私もその時には、もう食べることを止めようと思いましたから。そうすれば、静かに私はいなくなることを感じていました。そこには食べないことへの苦しみは存在しません。

人間は、自殺をしなくても、この状態になると、食べないことで死ねることがわかりましたね。当たり前のことですが、なかなかこの心境は体験できるものではないと思います。

そんなことを思いながら「肉体だけを生かす為に」わずかであっても食べて続けていました。

ここには、書ききれない想いと思い出があります。

回復までの過程については、書きたいと思った時に書いてみようと思っています。

 

今になって思えるのは、苦しみの中で立ち向かい考え続け、答えを自分自身で出してきたことが、自分で頑張ってここまできたという思いが大きな自信となり、今のブレない自分に戻れたということ。

「先生が言ったから」が何一つないことで、自分の考え続けたことや努力、強さは自分が掴んできたものです。

それが、今に繋がり、今の私へと成長できました。これが先生たちが目指していた治療であり、元々の私にその力があることを見抜き、治療の機会を与えてもらえたことに深く深く感謝しています。

一人の人間として対等であるという立場で、真剣に向き合ってきてくれた先生たちへは、深く感謝していますが、はやり自分の力でここまで頑張ったと言う思いは強くあります。

良い先生に巡り会えたことに感謝しつつ、そういう生き方をしてきた自分を誇りに思います。

 

子供へ伝わった生き方

私の治療期間や苦しみを見てきた子供たちが言います。

「お母さんは、過酷な環境で育ち、親は魔女。そして元夫とのこともある中で、どうしてそんなに良い人になったのか?」と。

「お母さんは、もともと素直な人で、人の良いところを見て素直に受け入れ、たくさん努力してきて、今の良いお人柄になっているんだろうな。人はどんな環境や親であれ、自分自身で努力するものなんだと思う」とも言いました。

そう感じ、そう言える子供の方が素晴らしいと私は思います。

私の生き方から、そう思えるように育っていることが、何よりも嬉しい。

自分自身の努力や経験によって自分を成長させていくことの大切さが伝わっていることで、子供たちの未来はきっと豊かで喜びや幸せの多い人生となると思っています。

人間ですから、当然落ち込んだり、悩んだりするのは当たり前です。しかし、その都度、自分自身で考えて進んでいけれると子供たちだと思っています。

 

トラウマについて

トラウマについては、不思議ですね。

言葉にならない辛い記憶は、鮮明な色彩だけを感じさせ、私のすぐ側にありました。見ている世界はグレーなのに、トラウマは思い出せないのに鮮明な色彩に感じていました。

そして私を苦しめ続け、トリガー(引き金)にふれると激しい症状を出します。発症してから、悪夢にうなされ、死の恐怖で目が覚めます。夢で過去の再体験をしているので、毎晩、殺されてる恐怖を味わっていました。目が覚めると恐怖体験直後の状態です。

過去はぼやけていて思い出せないが、思い出したら私は耐えられないだろうと思っていました。

それが、いつしか今なら耐えられる、トラウマと向き合い、本当に過去のものになるように克服したいと思うようになりました。

そのタイミングで、心理士さんと「トラウマを語る」という時間を作ることになりました。最初は、ゆっくりとでいいから語り尽くしてやる、と意気込んでいたものの、15分間を3回くらいで自然とその時間は必要なくなりました。

4回目の「トラウマについて語る」になった時には、いきなり心理士さんから

「で、〇〇さんはどうして離婚を決意されたんでしったっけ?」といきなり最後の場面を振られました。

その時は「まだ何も語ってないのに、いきなり最後?」と一瞬だけ驚きましたが、次の瞬間には、自分が離婚を決めた時期の気持ちが蘇ってきました。

「そうですね・・」と答えながら、フッと笑みが溢れました。その笑みを見て、心理士さんもフッと笑みをもらします。

暖かな空気が流れ、幸せな気持ちでいっぱいになりました。

先生の問いかけから、一瞬の時間に蘇った離婚を決めた時期の思い出した時に感じた想いは「そう、私はあの時から自分を信じて進んで来たのだ」と言う懐かしさでした。

懐かしい、そう感じるていることが、もう過去になっていたんです。

嫌な記憶が、もう過去になっていることに気がつきました。

そんな感じで、トラウマについての治療は、特別なことは何一つなかったですね。自分の心の成長が自然とトラウマを乗り越えてきているように思います。

今は、あれだけ辛かった過去を

「なかなか出来ない、いい体験をした」くらいにしか思っていません。

その体験があったからこそ、今の私はより深い豊かさや強さを育てることができたと、ポジティブな受け取り方に変わっています。

誰しもが自分から、体験したくない体験をしてしまいましたが、人生はいろんなことがあるものだけど、なかなか出来ない面白い経験をした、と思っています。

心的外傷を負わせた、母親や元DV夫のいる土地へ行けれるのか?と考えた時に、今までは「行けれない」だったのが「自分から行きたくない」と思えるようになっていることも大きな変化だと思います。

「行きたくないから、行かない」ただそれだけですね。

「嫌だったなあ」「でもいい経験になったなあ」とそんな程度へと変わってきていることに、自分でも驚きです。

今は

同じ病院で、同じように「複雑性PTSD」で心理面接を受けている人と偶然にも出会いました。その人は、20代前半の女性の人で、心理士さんからとても良い本を紹介され、その本を読みながら治療を受けていると聞き、その人から本を借りました。

本当に簡単でわかりやすい本で、まとめ買いして配りたいと思ったほど、良い本でした。

それを読んで「こんな良い本があるのに、何故、私には紹介がなかったのか」と当時は怒り、自分の心理士に用意させたほどでした。

怒ってみたものの、それが良い本だと思えるのは、もう回復してきているから思えることで、治療の中でその本を必要としなかったのは、私には元々の自分があることで、自分の力で辿り付ける力があったからだと、わかってはいました。

でも、本当に良い内容の本でしたね。

その本の途中にこう書かれている内容がありました。

虐待の中で育つということは、曲芸飛行を重ねてきたようなものです。次から次へと現れる予測できない障害をクリアし、虐待者が繰り出す意味不明は指令や、自分がしなくてよかったりする指令にも従い、とても大変だったけれど、曲芸でもするように飛ぶことしかできなったのです。

当時は、この意味がつかめていませんでしたが、今ならわかります。

私は、初めてこれから自分で操縦し、自由に飛べるのだと、その自由な世界を前にして、幸せしかありません。

初めて、自分で自由に操縦するのですから、上手になんて飛べません。ふらつきながら、時には落っこちそうになりながら、ゆっくりと飛んでいくのだろうな、と思います。

その飛び方は、人と比べる必要はなく、自分なりでいい。それが自由で自分らしいことであると満ち足りた想いで胸がいっぱいになります。

誰にも左右されることなく、あるがままの自分で、自由な世界を生きられる素晴らしさは、まさしく自由であり、希望に満ちた輝かしいものです。

先生が言いました。

「自分の人生を自分で歩いてほしい」と。

当時は、意味のわからない言葉でした。5年間の治療を経て、今ようやくその意味を実感しています。

私は、今、自分の人生を自分で歩いていると言えます。

 

 

離婚して3年。

振り返ると頼りない母親が必死に子供を守ろうと接している自分の姿のには、寂しい親子のイメージが残っていて、何となく嫌なので、最近は楽しい思い出の上塗りをしています。

辛い時期の中には、楽しい思い出もたくさんあります。だからこそ、イメージとして残る寂しい思い出を更に良い思い出にしてしまおうと思っています。

最近「温泉へでも行きたいね」と言う娘の言葉から、30分ほど離れた温泉街へ行ってきました。

たった30分の距離に泊まった旅館は、一人が5万。

洋室・和室とあり、部屋には専用の露天風呂付き。

このたった30分の場所に支払うには、贅沢な金額ですよね。忘れ物をしても取りに戻れる距離ですから。

贅沢な部屋で楽しい時間を持てました。帰ってきてから、子供が言います。今度は部屋は普通でいいから、もっと違う所にも行こう、と。

今度は、少し遠くへ行ってみようかな、と考えつつ、日常が当たり前に過ぎていきます。

日常が当たり前に過ぎていくことが、本当に幸せです。

そんな当たり前の日常で、この一泊の思い出さえも、楽しい思い出として残っていきます。

これが、新しい私の過去になるんですね。

これからも、きっと辛いことは起こるでしょう。でも、それもきっといつかは、また良い思い出になっていく。

そうやって、肯定的な生き方ができる自分は、生涯幸せなんだろうと思います。

そう思うことができ、そう言い切れる自分を、若い時から育ててきた自分を心から褒めてあげたいです。

 

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