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どこかの誰かに宛てています。その理由について。

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私がブログを書いている内容は、どこかの誰かに宛てています。
それには、こんな理由があるのです。

今一緒に暮らしている10歳の息子が小学校2年生になってすぐのことでした。
学校から帰るといい事があったと言わんばかりの顔をして

「ママ、今日、学校で教わったんだけどね、
自分のことが好きになれないと、大人になった時に生きるのがとっても辛くなってしまうんだって!」

と、得意そうな顔をして言うんです!
もう〜〜、本当にショックでしたよ。
私にしたら、自尊心や自己肯定感につながるようにと育ててきたのに

「先生が言ったから・・・」と先生の言葉は素直に受け止めていることに
ショックすぎて、泣きながら教育の専門家に相談したほどでした。

「お母さんが、そう思えるように育ててくれたから、子供さんは先生の言葉が心に響いたのではないですか?」
確かにそうとも受け取れるけど慰めにも取れ、もやもやしていたことがありました。

 それから何年か後に、テレビでムヒカ前大統領の演説を、息子と娘と私の三人で見ていた時のこと、感動した娘が拍手しながら

「その通り、いい事言うなー!」と言うじゃないですか!
つい、ぽろりと娘に言ってしまったのが
「お母さん、同じことを言ってきたんだけど・・・」って。
娘は
「・・・あ、いや、その・・改めて聞くといい事言ってるな、と思ってね」
と、思いっきり慌ててフォローしてくれましたよ(泣)

こんな経緯もあって、親って子供に種まきをしてあげることしかできないんだな、って心から思いましたね。
どんなに良いこと、正しいことだったとしても、子供に自分をコピーしようとするなら、それは洗脳でしかないですから。

日常生活の中で、子供たちへ蒔く種は、子供たちが出会う人や出会う何かによって芽を出していくものなのだと思います。
親子であっても、別々の人間です。
ですから、子供たちが出会う人や何かは、私の人生ではなく子供たちの人生の中にあります。
私が親として出来ることは、たくさんの良い種を蒔いてあげること。
そして、いつかどこかで芽を出しながら豊かな人生を歩いてほしいと願いつつ、子供を信じ続けることだと思うのです。

このブログの内容は今のところこれらの私の思いの中で、子供たちへ伝えてきた思い、子供たちやその年代の人たちからが悩んだり迷ったりしていたことに伝えた思いを載せています。

もちろん、ブログの内容通りには伝えていませんよ!
そこは、相手にシーンに合わせてごく普通の会話の中にそっと紛れこませている小さな種としてです。

 

 

どんな感じで伝えているかについて例えをあげてみると・・

子供が保育園とまだ小さい時期に、たまたま壁にいたバッタを見つけた子供が怖い〜!と言うので、
「でもよく見ると可愛いお顔しているよ〜!?」と声をかけると、おずおずと近づいてきて
「ほんとだー!可愛いお顔いしてる!」と気がついて二人でバッタ観察。
お顔だけではなく、よーく見ていると気がつくことはたくさん見つかります。
羽そのものの繊細さだったり、細く伸びた触覚が見られていることに戸惑っているように動いていること、手足だったり、お顔のそれぞれのパーツだったり、
気がつくことを二人で出し合いながら観察してました。

これは、大人になった時の物や物事を見る力になればと願いつつ、単純に子供との時間を楽しむためでもありました。

そんな子供らしい虫や花観察をしていく中で、子供が自分から例えば本の表紙などを見て、同じようによーく見ているんですね。
そして、気がついたことを嬉しそうに伝えてくれるんです。
「ママ、よく見ていて気がついたんだけど、この線の色合いが混じり合っててきれい。それにパッと見は同じような模様なのに、少しづつ変えてあってそれがいい感んじになっているんだね!」と。

私は「すごいね!よく気がついたね!」って褒めるだけです。
大人になった時に、先ほども書いたように「物や物事をみる力」から柔軟性、視点を変える、発想力・・発想を逆転させることに繋がるといいな、と願ってのことなのです。
しかし、私は教育者でも何かの専門家でもありませんので、何の根拠もありません。
ただ、自分の生きてきた過程においての信念のみです。

子供であっても、別の人間。思う通りには育つものではないので、子育ては大変ですよね・・

大人の年代になると、相談してきた時には、根拠を持って身近なな例えを使って伝えるようにしています。
でも、伝えたからと言って人は言われて分かるものではないのは承知しています。
あくまでも自分で考えてつかんでこそ、自分のものになるのですから。
それでも、真剣に向き合い伝えるのは
「真剣に向き合ってもらえた」と感じること。
ただ、それだけが大切ではないかと思うからなのです。

 

誤解がないように伝えると、子供たちも私の周りの人たちも皆それぞれ楽しく人生を過ごしています。ですが、私も含めて誰しもが時には立ち止まり、悩んだり葛藤するものです。そんな一面だけを取り上げて話をしてきました。

 

 葛藤は前進である!

 

それぞれが、それぞれの課題を持っています。

もちろん私も、です。
自分の課題に葛藤することは、辛いと感じることが多いと思います。
そこから逃げることなく、自分なりの答えを出していくことが自分なりの成長だと思います。

 

葛藤は前進である!

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